amz-dom-report2009-02-04

 今回、訪問したドメーヌからいくつか興味深い話を聞くことが出来た。

 まずシャルドネに関して、細かく分析してみると分子レベルで酸化しやすい分子を含んでいることが分かったそうだ。最新の醸造装置では空気に触れないように完全に仕切られた状態で造られている為、その分子を含んだままボトリングされることが多い。
昔の造りは結果的に酸化してしまう造りだった為に、その分子が混入することがなかったそうだ。近年、よく若いシャルドネが何故か酸化しているのは、この分子が原因らしい。

 コルクに関してのお話。ブショネ対策として現在、様々なコルク栓の代用品が流通しているが、やはり熟成を必要とするブルゴーニュにはコルクに優るものはない。そこでコルクについても入念に調査したそうだ。

通常、ワインはボトリングする前にSO2を加えるが、1年後にSO2の含有量を調べると、それぞれの数値が異なったそうだ。

調査の結果、それはコルクの影響だった。ペクシッドと呼ばれるブショネにならないと言われるコルクの消毒液はSO2を吸い取ってしまうという副作用があるそうだ。これではワインがどんどん劣化してしまう。

その昔、コルクの消毒は熱湯だった。彼はそれが最善だと考えている。1980年代からコルクメーカーがペクシッドを多用するようになり、コルクによっては中身の劣化が避けられない事態となってしまった。

またコルクを抜き易くする為に表面に蝋を塗る様になった。蝋は問題はないが、ペクシッドと何らかの関係があるのかもしれない。結果的にその消毒によってブショネは増えてしまい、解明されないブショネの論理はワイン界の謎のひとつとして語られてきたと言うわけだ。謎は解明されると、何のことはないものだ。

彼は消毒していないコルクを買っているそうだが、彼の祖父の時代はコルクの目がもっと詰まっていたと語る。原因は需要が多過ぎて、コルクが成熟する前に切り取られ出荷されてしまうからだ。そこではコルクの目を昔の密度に調整するためにコルクの表面に微量の蝋を塗っているそうだ。もちろん、それは何の問題も無い。

コルクを未消毒のものに切り替えてからSO2も安定してボトル内に存在するようになり、ブショネは皆無になったが、このところの需要の高まりによるコルクやボトルの値上がりは大変なもので、ボトルは約一年前より23%もアップしたそうだ。



 畑の話も色々と聞くことが出来た。その昔、ブルゴーニュはここまで土地は高くなかった。もちろん、DRCなど一部は除く話ではあるが、今は異常だと誰もが感じている。昔は畑を購入すると1、2年ワインを生産すれば元が取れたそうだが、今は40年ローンでも難しい。またいい畑はメタヤージュも価格が高いので、優良でも小さなドメーヌではそれも出来ないのが現状のようだ。
 90年代後半ぐらいネゴシアンを始めた人達は、このところの葡萄の高騰についていけずやめてしまった所が多いそうだが、この不況でどうなるのかは、恐らく世界中の誰も知らないことだろう。

 葡萄は皮の厚さと水分量でそのワインが決まる。2003年は特に暑く、葡萄は熟し、種も茶色だったが、皮の中の水分が少ない為、余計なものが出てきてしまうそうだ。フィネスに欠けるのはその為だろう。だから雨はとても重要なのだ。

理想なのは雨もしっかりと降り、太陽の恵みを十分に受けること。だから2007年はとても良い条件だったと語る。どこも驚くほど美味しかったでしょと嬉しそうに語る口調が印象的だった。

 またいい葡萄が出来ても長期間の漬け込みやピジャージュ、ルモンタージュのやりすぎでもすぐにワインが駄目になってしまう。紅茶と同じで漬け込みすぎるとタンニンが強くなるそれと同じことになるそうだ。ブルゴーニュでは手でピジャージュ(発酵槽の上から棒などを使って果帽を叩き沈める)をし、ボルドーでは主流なルモンタージュをしないところが多い。ピノ・ノワールはとても繊細なのだ。


種が熟すこともとても重要だと言う。彼は家で葡萄を食べることがあれば、是非種をチェックして欲しいと言う。茶色く熟した種と、青い種を持つそれぞれの実では果汁の糖度が全く違うらしい。彼らは収穫の微妙なタイミングをこれで判断するそうだ。またピノ・ノワールの場合は皮の厚みも重要になる。

ブルゴーニュという小さな村の集合体は当然ながら閉鎖的な社会だ。ただ醸造学を学校で学ぶ事が増えたた30代後半以降の人々からは横のつながりができて、意見の交換が活発に行われることになった。結果的にブルゴーニュのレベルの底上げが飛躍的にされたらしい。それがほんの数年前だというから驚いてしまう。

彼自身、父親から何故近所のドメーヌの息子と仲良くするんだと怒られた経験を持つぐらいそれ以前の社会は閉鎖的だったのだ。ドメーヌの醸造技術は言わば、代々受け継がれてきた秘伝の技であり、決して他言してはならないことだったのだ。そうなると当然、近所付き合いも限られてしまう。

 ある醸造家が最近、旅行で南アフリカを訪れたそうだ。そこでは動物園のように柵のない自由な大平原で動物たちは伸び伸びと生きている。その時、彼は異なる動物でも食べる草の場所が同じだと言うことに気が付いた。同じ種類の草でも手付かずの場所があるにもかかわらずだ。彼らはテロワールを熟知し、脈々と受け継がれるDNAがそれを本能へと伝えているのだ。



 彼は全てのことには意味があるという。とても哲学的な言葉だが、小さな草が畑の一角に生えることにも大きな意味があるのだと言う。草の種類や時期や天候などあらゆる事が複雑に関係することで全てのことが成り立っているのだと語る。雑草ひとつとっても、そこに生えるには様々な意味があり、それは自然からのメッセージなのだ。そのひとつひとつを丹念に調べ、その意味を追求していく姿勢は今後のブルゴーニュに大きな足跡を残していくのだろう。

 虫についても言及していた。フランス語でbête à Bon Dieu(善神の虫)と呼ばれる畑の害虫を食べてくれるてんとう虫はとても重要だが、何を思ったか1982年頃、それを中国から大量に輸入してきたそうだ。ただ中国からのてんとう虫はフランスのものとは、当然ながら全くの別種だった。しかも毒を含んでおり、葡萄と一緒にプレスしてしまうとワインは全く飲めるものではなくなったそうだ。

またフランスのワイン界に壊滅的な打撃をもたらしたフィロキセラも元々は観察用にアメリカから輸入したもので、それが逃げた為にワインの歴史が大きく変わってしまったのは言うまでもない。

生態系のバランスはとても繊細なもので、それは神々が創造した奇跡のバランスである。それを浅はかな考えの人間が手を加えることは当然許される事ではない。バベルの塔のように神の領域にまで踏み込もうとする度に、人間は大きなしっぺ返しを受けるのだ。歴史は良くも悪くもただただ繰り返される。






ここまで熱心に読んで頂いた方は既にお気付きかもしれないし、既にその訳を知っている方もいるだろう。生産者ごとに収穫の時期にかなりの差があることに。実はこれにもきちんとした理由があったのだ。

2006年まではいつからいつまでに収穫しなくてはならないという厳格なリミットがあった。これだと糖度を得る為に、どれだけ収穫を遅らせようとも、決められた期限には収穫しないとならないので、アペラシオンや年によってかなり差が出てきてしまう。

その弊害は常々議論されてきたことだが、2007年から晴れてその制限がなくなったのだ。これで収穫時期が自由になり、生産者によっては3週間もずれが生じたそうだ。


 一般的に言われる開花から100日が収穫時期と言われるが、それは当然その年の天候によって変化する。規制がなくなったことにより、自由度が高まったことは大いに歓迎すべきことで、ブルゴーニュにとって計り知れない効果をもたらすだろう。

前にも述べたが、ヴィンテージの良し悪しは最早大きな問題ではない。

少なくともブルゴーニュにおいては議論すること自体が全くの無意味なのだ。

全ては造り手の知識と経験、そして情熱で決まる。そしてその情熱ある生産者にとって、ブルゴーニュの未来は限りなく明るいと感じた今回のブルゴーニュ訪問だった。